【植樹のハナシ①】なぜ植樹をするのか
「木を植える」という行為はすごく無条件に「良いこと」、「社会貢献」の象徴みたいに思われているのかなと感じることがあります。
ちょっとがっかりさせちゃうかもしれませんが・・・、
他はわかりませんが、ウチの場合はそんなことでは全然なくて(^▽^;)どっちかって言うとやらせてもらっている、っていう感じでして(汗
私たちが植えさせていただくのは人工林、つまり農業で言う畑のような場所です。苗を植えて60年後の収穫を目指す作物はカラマツをはじめトドマツ、エゾマツといった針葉樹。なので、この場合の「植樹」は、林業の毎年のお仕事の中のひとつなのです。
今年植える場所の一角を私たちのために取っておいていただいて、ちょこっと体験で植えさせて頂く、という事なのです。
チエモクチームが年に何十本かの苗木を植えていることなんて、「植える」という行為そのものとしては、ほぼあっても無くてもいい、っていうか・・・、それどころか、シロウトが「植える」ということは、プロに場所まで案内してもらって、苗を用意してもらって、道具を貸してもらって、使い方植え方を教えてもらって、あれこれお膳立てして頂いた上で、「植えプロのおばちゃん」ならあっという間に終わっちゃうくらいの本数を、植え体験させて頂いている、という状態なので、「お手伝いしています!貢献しています!」というより実際には「体験させて頂いてありがとうございます、お金払わなくて大丈夫ですか?」という状態(笑)と思っています。
それでも、毎年お願いしてやらせて頂いているのは、普段は立ち入ることのできないバリバリの林業の現場で道すがら目に入るもの、その風景の中で「木を植える」という体験をすること、たった2時間程度の間に、私たちが学び感じ取れるものが本当に沢山あると思っているからです。木工を生業にしている私にとっては、いま自分の手の中にある、この一生ここから動くことのできない苗木が、この場所でこれから始まる60年を生き抜けるか、という事に思いを馳せるだけで、本当になんとも言えない気持ちになる、それを感じに行っている、という事が大きいです。自分の原点を確認しに行っている、という感じです。
これはなぜか、植樹の時その現場では毎回、本当に心新たに胸に迫る気持ちなのです。
他に代えられないシチュエーションなのです。
60年ですよ、60年!っていう気持ち。急にただの文字でなく、自分ごととしてその生き物としての年月がずしんと乗っかってくるような気持になります。それだけの存在感ある命を奪い加工して私はものを作ってるんだ、ということを、毎回瑞々しく感じさせてくれます。(いわんや天然林をや、ということも含めて)そしてこれまでにも、スタッフや木工仲間、友人やお客様などたくさんの方々と一緒に植樹をさせて頂いてきました。「木は生き物」というのは誰でも知っていることですけど、命を持ったものとして本当に実体として感じて頂きたい、それを伝えることは、木工で生きる者としての自分の役割のひとつなのではないかと感じています。
ご参加された皆さんは、それぞれに感じるところがあったと感想を伝えてくださいます。
きっと、百聞は一見に如かず、インパクトのある体験になるものと思います。皆さん「こどもに体験させたい」と仰いますが、こどもはもちろん、きっとオトナな皆さんにとっても大切な体験になるものと思いますよ♪
まだまだ募集中です。ぜひ一度ご一緒致しましょう